コーボルトヒュッテから山形大學蔵王山寮へ | |||
真ん中の黒い点がコーボルトヒュッテ |
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コーボルトヒュッテは、山高山岳部が、営林署に土地使用許可ををもらい、拠金活動をし、高湯温泉の方々の応援を得て資材を運び、工事を行い、ついに昭和3年10月21日に竣工した。その後再三改修されたようだ。 昭和19年にヒュッテを山高に寄付する話があったが学校への移管手続きがされていず山岳部に返還された。昭和30年に大学学長から正式に寄付依頼あり、31年に承諾の回答があった。 昭和34年8月にコーボルトヒュッテは取り壊された。同年12月20日には、隣接地に山大蔵王山寮が建設され完成した。 | 昭和20年代のコーボルトヒュッテ |
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昭和34年8月解体されたコーボルトヒュッテ 昭和35年ごろの蔵王山寮 右から2人目文理昭和38年卒千葉慶胤:東京ふすま会員) |
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昭和30年代の蔵王山寮 |
樹氷の中でスキーを楽しむ山大生(前列座っているのは 阿部孝雄文理38年卒東京ふすま会員) |
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コーボルト会(山高、山大の山岳部OB)がヒュッテを大学に寄付して 約10数年を経て、昭和44年にコーボルト会が、地蔵山北八方澤源頭 にコーボルトヒュッテ2世を建設した。 建設当時のコーボルトヒュッテ |
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コーボルトヒュッテ(昭和53年2月) |
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平成26年2月何十年ぶりに素晴らしい樹氷が見られるといわれて出かけたが、2月初めに5月並みの気温で、地蔵下の樹氷は樹が見え、かろうじて地蔵上の樹氷が見ごろだった。 |
三宝荒神 今は左右にゲレンデがある |
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現在の山形大学蔵王山寮は、前と同じ所に昭和63年に建設された。 蔵王山寮は、東北地区国立大学共同合宿研修施設で80名程度 宿泊できる。 私達、山大OBも宿泊は可能である。 蔵王山寮には地下があり、スキーや靴の乾燥室も整っている。 |
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食堂もかなり広い。 食堂テレビの下には、東京ふすま会の会報「乾坤」のフアイルが置いてある。 |
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真ん中に大きなストーブがあり、暖かい。 |
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研修生用の宿泊室は、2段ベットで各段35人宿泊可能である。 |
大きな部屋に写真のようなベットがある。 個々の部屋は、前の山寮より広く出来ている。 |
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温泉ではないが、男女別のお風呂もついている。 簡単な料理ができるレンジや調理室もある。 |
講師用の和室も4室ある。開いているときは、OBにも使わしていた だけると思われる。 |
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