会報「乾坤(145号 2019.12.1発行)」のとびら 広報部会の お勧め5篇 (文中 敬称略) |
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01第23回「山大の集い」開催 9月21日、東京サテライト国際会議場にて総勢53名の出席で堂々と開催された。 来賓は人文社会科学部准教授許時嘉先生、校友会樋口浩朗事務局長(人文23回)、ふすま同窓会横井洋子副会長(人文17回)、高橋節ふすま同窓会百年記念祭実行委員長(人文2回)の4方においで願った。 理18回(昭和63年卒)斉藤 彰 (前略) 許時嘉先生より『台湾人からみた満州国』の演題で記念講演 を頂いた。 日本の植民地であった台湾と満州、現在の台湾と中国の関係を考えると仲々話題にしにくいテーマではないかと感じた。 満州に渡った日本人と朝鮮人は農民が大半であったが、台湾人は知識階層が多かったのは、寒い満州では温かい台湾の農業技術が活かせなかったからである。許先生の講演で初めて知ることが多く、台湾や満州の近現代史に触れることができた。 「山大の集い」の記念講演では初めての女性講師、初めての 海外出身者と、令和の新しい時代の幕開けに相応しい記念講演であった。 (後略) 「山大の集い」に参加して (1)人文15回 上杉繁喜 (前略) 懇親会や二次会では、「和顔施」という言葉を思い出しました。笑顔(和顔)のお布施という意味で笑顔が人々を幸せにするとのことです。和やかな雰囲気の中で山形での楽しかった思い出話に花が咲き、まさに幸せなひと時を過ごすことができたと感じました。ただ同年代の方の参加が少なかったことが残念でなりません。同じゼミで学んだ仲間や銀行時代の後輩など年賀状だけのやり取りで長らく会えていない関東圏在住の山大出身者が私にも何人かおります。今度は私が案内する番となり、東京ふすま会の行事でぜひ再会を果たしたいと強く思います。 (後略) (2)人文26回 井上良子 (前略) ほぼ知り合いもいない中での飛び込み参加でしたが、人生の大先輩でもある山大OB・OGの先輩方は皆暖かく迎えて下さ り、楽しく笑いの絶えない時間となりました。世代はそれぞれ 異なっても同じキャンパスで青春時代を過ごした私たちは確か に仲間としての絆を持っていると強く感じました。 (後略) 02寄稿 4題 (1)文理2回 高橋一 ♦末期高齢者の忠言♦ (前略) であれば火山噴出物は「火山灰」「火山礫レキ」「火山岩ガンカイ塊」などは「宝永火山」に類推しても広範囲に堆積すると考えられる。 「関東地区」で生活するわれわれは少なくとも降灰に対する対策が必要である。私の体験上でも「防塵マスク」を用意しておくことをおすすめする次第です。 現在市販されておる「防災セット」の装備品にも「マスク類」は入っておりません。 (後略) (2)文理6回 渡曾成良 ♦思い出すこと♦ (前略) 入寮して半年後に役員の改選があり、私は選挙には全く無関 係と外出して帰ってきたところ、食堂に張り出されていた新役員名簿の中に副委員長として私の名前が載っている。驚いたが、前任者の推薦によるものだった。 それから一年間、学寮委員として勉学以上の時間を費やした。委員同士、皆仲良しだった。 (後略) (3)文理6回 吉田良吉 ♦ホメオスタシス♦ (前略) 「ホメオスタシスという言葉知ってますか」 「ホメオスタシスですか」 「ええ、ホメオ=同一の、スタシス=状態という意味で、日本 語では『恒常性』と訳されてます。辞書には『生体を取りまく外部環境や生物自体の変化に対して体内の器官が常に一定の状態を保持しようとする機能』と書かれています。いわば病気に対する体の自然治癒力みたいなものですね。」先生はそれから深呼吸とホメオスタシスの因果関係などを暫く話された。 (後略) |
(4)文理10回 小山昌志 ♦思い出2題♦ 1、其の一「ふるさとのこと」 (前略) 暫くすると馬が急に足を止めて「フウ、フウ」と鼻を鳴らし微動だにしない。そうすると兄が突然大きな声で「ヤーレン ソーラン、ソーラン、ソーラン、ハイハイ・・・」とやると、三十米位先の木藪から熊がこちらに向かって立上がるのです。間もなく熊は林の中に消えて居なくなり、馬は歩を進めます。 (後略) 2、其の二「学寮のこと」 (前略) 学寮の年間行事をあげると、新入寮生歓迎会、歓桜会(馬見が崎河原)蔵王全寮登山、全寮総会(学長はじめ教授の先 生十名位、バー「ブン」のママさんを招待した時は盛り上がり ました)。各寮対抗駅伝(山形と米沢往復のコース)。山形祭 への仮装行列参加、全寮芋煮会(馬見が崎河原)、卒業送別コンパ、受験生の宿泊の手伝い、等々数多くの行事を寮の委員がすべて消化していくのです。学寮は六棟の建物で構成し、常に約300人の寮生を収容―。まさに「自治寮」と言えるのです。 03大谷木元会長追悼 (1)28回理 森 参治 4月23日、元会長の大谷木英夫さん(高20回文甲)が、逝去 されました。 平成6年から18年の永きに亘り、会長職を務められました。 その当時は、山高OBが未だ元気な時代で、多数の会員が参加して、寮歌祭(日比谷・蔵王)、見学会、ゴルフ会等の行事が目白押しに毎月開催されました。又他校との交流等も加わり、会として一番多忙な時期だったと思います。大谷木さんは、殆どの行事に参加されて、会を盛り上げ、円滑な運営に努力されました。会全体としてもスムーズな運営が行われたのは、大谷木さんの大きな功績だと思っています。 (後略) (2)文理2回 吉田正文 (前略) 私が大谷木さんに始めてお会いしたのは、平成3年4月と記憶しています。松本薫副会長(18回文乙)のもと、東京ふすま会の自前の事務所を購入するにあたって物件をみて廻った時、大谷木事務局長、副会長の私も一緒でした。 (中略) 一方、大谷木さんは平成6年9代目の東京ふすま会長に就任された。東京ふすま会会長は累代、各界を代表する著名人が就任していた。会長選任にあたっては強硬な意見が出て難航したこともあったが、大谷木さんは優れた人格識見から、満場一致で選任された.前任の松本さんは副会長を18 年務め、ふすま会の実情を熟知しており、後任に大谷木さんが適任として推薦、そのうえ、松本さんは柔道部の2年先輩の縁もあった。 (後略) 04五代目宝井琴鶴真打襲名披露宴 東京ふすま会会員である宝井琴柑改め琴鶴(人文34回、本名綿貫麦)さんの真打襲名披露宴が目白の椿山荘東京で盛大に行われた。 人文1回 笹谷仁則 (前略) 会場に入り真っ先に目に入ったのが、有志一同で寄贈した後ろ幕と、幟であった。あまりの大きさに圧倒された。横7 2 0 0 × 縦2300のサイズだそうな。琴鶴さんの品格を思わせる若緑の地に黒墨の文字で寄贈山形大学有志一同と染め抜 かれていた。その感動は私だけでなかったと思う。 (後略) 05第10回懇親芋煮会に参加して 文理18回 柴田憲彰 (前略) 小学校頃より秋の芋煮会は、馬見ヶ崎川の河原で、時には学校の行事や家族、友人または職場の仲間やお客様と繰り返し、行ってきました。その中での一番の思い出は、中学時代の馬見ヶ崎川の上流地区でのキャンプ兼芋煮会で、当時からも芋煮の調理実務は男子が中心にやってきており、その経験の中で芋煮のやり方を覚えてきました。 (後略) |