会報「乾坤(144号 2019.8.1発行)」のとびら 広報部会の お勧め5篇 (文中 敬称略) |
|||
01令和元年度東京ふすま会総会開催 五月晴れの5月18日(土)、令和元年度の総会が学士会館で36名の出席で開催された。 第1部 理事会、総会 第2部 記念講演 文理18回高垣直澄氏 「歴史の陰に租税あり(前九年・後三年合 戦の時代背景)」 第3部 懇親会 理18回(昭和63年卒)斉藤 彰 (前略) 大正14年生まれの五十嵐 力大先輩(27回文甲)が5年ぶりに総会懇親会に参加した。五十嵐さんは東京ふすま会の役員を 永年務めた他、日本寮歌祭・蔵王寮歌祭の事務方の中心90年を迎える山岳部の重鎮として活躍され、東京ふすま会の山高会員の拡大に尽力されたレジェンドです。 山形の地酒やおいしい料理を楽しみながら四つのテーブルで和やかな懇談が続きました。 (後略) 総会に参加して (1)文理13回 佐藤輝和 (前略) 豪華な和洋の料理が並ぶテーブルの隣に目に付いたのは、飲 み物テーブルの日本酒の一升瓶2本でした。今回は、私の出身地米沢・上杉藩で、共に御用酒蔵を務めてきた伝統の酒蔵 の「住吉」と「米鶴」でした。久々に出会った酒が懐かしく、大満足する程、頂きました。 宴も酣、寮歌「嗚呼乾坤の」、学生歌「みどり樹に」、会の締めで「ひかり北地に」斉唱の時間になりました。全員が円陣で 高唱しました。 (後略) (2)理4回 長谷川憲司 (前略) 今回のテーマである前九年・後三年合戦を理解するには、当時の徴税制度を知ることが必要である。大宝律令に始まる租税制度はその後半世紀以内に崩れた。 多くの農民が土地・家を捨て離散し、戸籍制度が崩壊したこ ととの関連。荘園の拡大も律令制の崩壊に決定的に働いた。朝廷は受領を任命し、徴税を強化しようとしたが、荘園と受領の武力争いが激化。これが合戦の背景。合戦は安倍、清原、源氏間の複雑な争いが中心。最後は奥州藤原氏が平泉に巨大な勢力を蓄えることに繋がった。同氏によるこの歴史の著作に敬服。 (後略) 02乾坤あーかいぶす 今回は当時(平成12年)山形高等学校創立80年記念を迎え開催された第16回蔵王寮歌祭オプショナルツアー「米沢バスツアー」についての大谷木英夫氏(20回文甲、平成6~18年会長・平成31年4月23日逝去)の寄稿文です。(第88号平成12年12 月1日刊から転載)上杉の城下町米沢の歴史や米沢藩と「赤穂事件」の関係が簡潔に整理され、かつ昨晩の寮歌祭の余韻をひきづり、楽しい散策の様子が目に浮かぶ一篇です。来年の百年記念祭の後は直江山城守「愛」の前立ての兜(稽照殿)「洛中洛外図」(狩野永徳・国宝米沢上杉博物館)を覗きに米沢観光もお楽しみください。題字は兼本靜子(文理6回) 20回文甲 大谷木 英夫 山形高等学校80年記念第16回 蔵王寮歌祭 「米沢バスツアー異聞」 (前略) 又五代綱憲公は有名な吉良上野介義央公の子息で上杉家に養子に来られ、米沢に於ける治政も良く藩主として優れた方であったので、その父上である吉良義央公が、芝居で演ぜられているような方である筈はない。あれは芝居を面白くするために脚色したもので、事実に反する。米沢では昔から忠臣蔵とは言わない。赤穂事件と言っている。とのことであった。歴史の真実は果して如何。 (後略) 03山形が生んだ世界の偉人 安達峰一郎生誕150年記念「シンポジウム」 文理2回 吉田正文 (前略) 安達は明治2年現、現山形県山辺町に生まれ、東京大学を卒 業、外務省に入り、ポーツマス講和会議で貢献。メキシコ、ベルギー、フランス大使を歴任。発足間もない国際連盟の日本代表に就任、国際協調の潮流を踏まえた類いまれな外交手腕を発揮して国際社会から絶賛された。 (中略) 今日、国際協調主義は重要な岐路に立たされている。かつて、世界の大きな変化を見誤り、国際協調に背を向けた日本は、今こそ国際協調の理念を高く掲げる時である。安達が生涯を通じて取り組んだ世界平和、国際協調への貢献は、今日の世界でも新しい輝きを放ち続けている。 (後略) |
04平成の時代30年間の「乾坤」の航跡 文理7回 高橋正光 編 「前期=平成元年から平成10年に至る期間」 先ず読み取られるのは、数多く寄せられた恩師の記事であ る。そして次には追悼文が多く皆多くの友人のために書かれていることが上げられる。この期間約30件、他の記事同様長文で記されている。 その他、数少ない山大会員の「リレーコーナー」があり懐か しく感じられた。 一方事務の面では、平成2年に松本 薫会長が選任され、また高円寺事務所が開設され、会員数も1、000人を超す大世帯となり、平成6年には大谷木英夫会長が選任された。 (中略) 「中期=平成11年から平成20年に至る期間」 この時期も山高会員の投稿記事も多く、追悼文が多く寄せられ、同時にクラス会、寮歌祭の記事が多くなって来ている。 事務の面では平成18年初の山大会長吉田正文氏が誕生。 (中略) 「後期=平成21年から平成31年に至る期間」 この時期、会員数は激減し700人台からスタート。記事の内容は変ることなく推移して来ているが、次第に山高会員の記事は少なく山大会員の記事が多くなって来ている。山大の集い、山大OB・OGセミナーに関する記事が数多く見られるようになって来ている。 事務の面では平成22年に会長に高橋正光が選任され、平成28年に三俣壯一氏が会長に就任している。 (後略) 05寄稿3題 ①学寮の便所 文理16回 後藤雍正 (前略) 当時の学寮の便所も落書き満載であったが、町の公衆便所の落書きとは一線を画していたといって良い。 (中略) 学寮の便所は、我々の文学的趣味を満足させ、政治的闘争心を燃え立たせ、哲学的思考を深めた、実に教養の香りの高い場所ではあったが、そこに10分も20分も長居することはできなかった。 (後略) ②札幌での小さな集い 文理16回 原田康司 札幌駅西口改札口を出ると中本君と海老名君が待合室のベンチにいるのがすぐわかった。私は千葉県船橋、海老名君は仙台、中本君は地元札幌在住で、昨年6月72歳で亡くなった成田治夫君の仏前にお参りするために集まったのだ。 (中略) 持参した卒業謝恩会の写真は特に女子学生が多く写っている。名前や出身校を言い合いながらそれぞれの青春時代を思い出しているようだった。こういう盛り上がり方も気さくで豪快な成田君は許してくれるだろう。 (後略) ③山大俳句会と山形 理先生 人文2回 黒田多聞 (前略) 故郷(ふるさと)の遠さひと しお炭火かな (多聞) 小白川学寮の暖房は鉄火鉢の炭火だった。その火鉢を四人五人と囲んで駄弁ることがあった。駄弁りの中に一瞬おとずれた沈黙。その時の赤い炭火が引き起こした感情だった。 この句は先輩の高垣直澄さんが激賞してくれた。そんなこと 彼の記憶の片隅にも残っていないだろうが、私はただ嬉しかった。 (後略) |