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会報「乾坤(142号 2018.12.1発行)とびら

広報部会の お勧め5篇 (文中 敬称略)

01「山大の集い」開催
文理、人文、理学部の合同同窓会が山大東京サテライトで行われた。好天に恵まれ総勢57名の参加をみた。
 
理18回 斉藤 彰
(前略)
人文社会科学部教授岩田浩太郎先生より『最上紅花と山形商人』という演題で記念講演を頂いた。江戸時代から明治時代前期まで山形は東北一の商都として栄えていた。最上義光は57万石の大大名であったが、幕末の水野藩はわずか5万石の小藩であった。武士の統制力が弱く商人が自由に活動できた。糸を赤く染める紅花は上方で重宝される特産品であった。村山方で生産されるのに最上紅花と称される。当時、この地方は最上氏が治め最上郡と呼ばれたことに由来する。
 なぜ山形が商都として栄えたか。「天下の台所」である上方と奥羽の交易は北前船などの日本海海運が主流であり、酒田湊
から最上川舟運により奥羽内陸部まで大量輸送ができた。当時の技術では太平洋回りは困難であった。上方と直接取引したことで全国相場を把握できた。行きは紅花、帰りは日用品を積み効率の良い商いしていた。
(後略)

「山大の集い」に参加して
(1)人文8回 土井正夫

(前略)
自分が前回山大の集いに参加したのは、遡る事おそらく4年
前の第18回と思われますが、最近は足も遠ざかっていたため、当初は他の理由もあって躊躇していましたが、笹谷副会長(人文1回)から連絡を頂き、いささか敷居の高さを感じましたが、以前山大の集いでお会いした諸先輩方のご尊顔を忘れては
いけないと、久々ではありましたが参加させて頂きました。
(後略)

(2)理7回 清水 透

(前略)
東京及び仙台両者の課題は共通である。若手と女性の参加者を増やさねば未来はない。今回も生物後輩女性の何名かには呼び掛けた。「高齢親介護」があり、行くに行けない現実を目の当たりにした次第である。
(後略)

「山大の集い」参加者
文理学部
(2回)竹田 繁・吉田正文髙橋 一 (6回)丹羽武正
吉田良吉・渡會成良(7回)髙橋正光・渡部徳正(10回)小山昌志・高山今朝雄横尾幸雄(11回)阿部孝雄千葉慶胤(12回)津森幸枝庄司文啓(13回)寺岡一雄・佐藤輝和(15回)鈴木昭三
石澤良弘・榎本明子・高宮 白 竹岡国輝(16回)稲村英夫
後藤雍正 原田康司 三俣壯一(17回)稲村三夫(18回)柴田憲彰・高垣直澄
人文学部
(1回)笹谷仁則・堀切一夫・山本幸男(2回)小澤 明
(8回)土井正夫・野田順一(9回)林ふじよ(13回)髙橋廣樹
(14回)丹野芳和・堀川 真

理学部
(1回)佐藤 博・五十嵐吉郎(2回)伊藤英孝(3回)岩槻正志
(4回)川口 均・長谷川憲司(7回)清水 透(9回)直井義博
(12回)宮村新一(18回)斎藤 彰
以上49名

02第8回全国旧制高等学校寮歌祭を終えて
 29回文乙 吉野重彦

「平成23年10月10日、第一回の寮歌祭を開催して以来、あっ
という間の8年でしたが、この間、住友不動産様には物心両面
にわたり格別のご支援を頂きまことに有難うございました。

(中略)
旧制高等学校・大学予科38校に限った我が国唯一の寮歌祭
は、名実ともに幕を閉じたのである。8年前、日本寮歌祭が終ったあと、平均80歳の24修が中心となって立ち上げたこの寮
歌祭

(中略)
「旧制高等学校の寮歌は、全国から選ばれた若者が、国家有為の人材たらんと、切磋琢磨する寮生活の中で、自ら作詞し、自ら作曲して歌い継いで来た世界にもまれな学生歌であります」
(後略)

03乾坤あーかいぶす
山形県における芭蕉の40日

  20回文乙 奥山宗弘
(前略)
以上のごとく、芭蕉が「わが山形県」に足を踏みいれたのは
7月1日で、去ったのは8月12日であった。この間、2日間は
秋田県の象潟にでかけているので、正味40日間の山形県滞在であった。『奥の細道』の全旅行日程155日の内40日とは、ずいぶん長い逗留である。『奥の細道』の中に占める山形県の存在がいかに大きいものであるかがわかる。評論家の故山本健吉氏も、「芭蕉にとって、この旅中、山形県は一番居心地の良かった所のようである」と書いている。山形県人としては、大変嬉しいことである。
 それにしても、山寺から山形への距離は、たった3里に過ぎ
ない。芭蕉は、なぜ、山形を訪れてくれなかったのであろうか。山形生まれで山形育ちのボクとしては、残念でしかたがない。

乾坤85号より転載
04第32回見学会
女流講談師と行く泉岳寺から赤穂浪士終焉の地を訪ねて

 人文1回 笹谷仁則

4月某日、同窓会事務所へ宝井琴柑さんから朗報が入った。
『ありがとうございました。真打ちに決まりました。』思えば
2016年に始まった歴史探訪も今年で3回目となる。当時二つ目であった琴柑さんを真打ちにしようと立ち上げたのが【宝
井琴柑さんを真打ちにしよう東京ふすま会後援会】であった。
爾来3年目の快挙である。
 今回は記念すべき見学会にするために早くから呼びかけ、昨年を大きく超える39名の参加を得た。ご夫婦同伴も5組あり、山形からは校友会の大沼事務局長にもご参加を頂いた。
(後略)

見学会に参加して
(1)理1回 佐藤 博

 「泉岳寺から赤穂義士の終焉の地 散歩ラリーと講談を聴
く会」に参加しました。10月14日(日曜日)午前10時半、地下
鉄泉岳寺駅集合、駅出口から目と鼻の先にあるお寺に向かいました。朝方にかけて強い雨が降り、まだ空模様も怪しいなか参加者は、赤穂義士に劣らない人数となりました(米寿を超えた方もいらっしゃいました)。

(後略)

「見学会」参加者
山高(27回)永井和雄(28回)森 参治(29回)新田孝二
文理学部
(2回)髙橋 一(6回)渡曾成良(7回)髙橋正光・渡部徳正
(9回)設楽 猛(10回)高山今朝雄(11回)阿部孝雄・田宮 一 ・林 信行&令夫人・小島勝衛
千葉慶胤(12回)津森幸枝(13回)佐藤輝和(15回)鈴木昭三
高宮 白・竹岡国輝(16回)稲村英夫・三俣壯一
(18回)柴田憲彰・高垣直澄
人文学部
(1回)笹谷仁則・堀切一夫(13回)高橋廣樹&令夫人(14回)丹野芳和&令夫人・堀川 真&令夫人
理学部
(1回)五十嵐吉郎・佐藤 博(2回)伊藤英孝(4回)長谷川憲司&令夫人(7回)髙橋敏夫
(校友会)大沼一男  以上39名

(2)人文13回 高橋廣樹
(前略)
赤穂義士大願成就の12月14日まであと丁度2ヶ月のこの日のご案内役は、人文34回卒で今年4月に真打昇進を内定なされた宝井琴柑さん。早速、日頃鍛えた名調子と持ち前のプ
ロの知見で、参加者を300 有余年前に江戸庶民を熱狂させ幕府に武士道と主従の関係を改めて問うた義の世界に引き込んでいきます。
(後略)

05第9回懇親芋煮会
11月11日(日)快晴
江東区若洲公園キャンプ場25名参加、山形産の里芋と馬見ヶ崎河原の思い出を肴に大いに盛り上がる。
文理17回 稲村三夫

(前略)
さて、鍋に戻って、今年は私と同じ料理番である菊地信幸氏が所用で見えず、代役の五十嵐吉郎氏が最後の味見を行い、いよいよ煮炊きが完了した。熱々の里芋をほおばると、言うに言えない秋の香りが漂い、牛肉を始め各具材と実に調和のとれた深い味わいが心を打つ。「うーん、旨い」の声が沸き上がり、しばらく飲食懇談の場となった。今回の参加者の中には、同じ寮生で50年ぶりの再会で盛り上がるなど、それぞれ和気あいあい食しながら、その後一人ひとりより近況報告が寄せられた。
 人間の特性であろうか、酒の伴う楽しい歓談には、過ぎゆく
時の流れを忘れさせるものがある。秋日は、陽の傾くのが早
い。ふと気が付くと、いつしか夕暮れが近づいていた。かくし
て、伝統の寮歌、学生歌の高唱となり、終了と同時に主催側からお開きの挨拶がなされた。その後新木場駅に移ったものの、おのずと次なる暖簾の揺らぐ建屋へと吸い込まれて行くのであった。

「懇親芋煮会」参加者

山高(27回)永井和雄(28回)森 参治(29回)新田孝二

文理学部
(2回)髙橋 一(7回)髙橋正光(10回)高山今朝雄・高橋俊彦
鈴木泰一(12回)津森幸枝( 13 回)佐藤輝和・寺岡一雄(15
回)竹岡国輝(16回)稲村英夫・後藤雍正・原田康司・三俣壯一(17回)稲村三夫

人文学部
(1回)笹谷仁則(2回)黒田多聞

理学部
(1回)五十嵐吉郎(2回)伊藤英孝(7回)髙橋敏夫
(18回)斎藤 彰(27回)小野達也
以上24名