会報「乾坤(139号 2017.12.1発行)」のとびら 広報部会の お勧め5篇 (文中 敬称略) |
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01第21回「山大の集い」盛大に行われる 9月30日(土) 山大東京サテライト 「山大の集い」は東京ふすま会会員以外にも門戸を開き、広く旧交を広げて頂く機会をと設けたものです。次回も是非お近くの先輩、同期、後輩とお誘い合わせの上参加して下さい。 人文9回(昭和54年卒)寺崎誠 (前略) 記念講演は松尾教授の「最上義光とその時代」と題する興味津々のお話であった。近年文献の発掘が進み、従来義光が「ずる賢く残忍」といったイメージで語られることの多かったのは、伊達・上杉による戦勝者史観によってもたらされたものであることが明らかになってきたこと、豊臣大名として京都聚楽第城下に持っていた屋敷や山形城の址から金箔「山」文の軒瓦が出土しており、自ら「山形義光」と名乗り、周囲も義光を「山形殿」と呼び習わしていたらしいこと、慶長の長谷堂合戦で上杉方に勝利して山形57万石の藩主となった後は、城下の整備や庄内平野の開発、酒田港の整備などに尽力し、その後の山形の礎を築いた名大名であったことなど、ユーモアを交えながらのお話しであった。(後略) 「山大の集い」に参加して (1)文理18回(昭和45年卒) 柴田憲彰 9月30日(土)、山形大学東京サテライト国際会議室で開催された、第21回東京ふすま会「山大の集い」に出席しました。出席者は、来賓者を含め52名であり、残念ながら昨年度と比較して若干減少しており、満員御礼との状況ではありませんでした。 「山大の集い」は、山大卒業生が楽しく語り合える集いとして平成9年に第1回が開催され、今回が21回目でしたが、当初は100名を超える参加者があったとのことです。いずれにしても、参加人数が増えなければ、会の活性化はなかなかできません。(後略) (2)理7回(昭和52年卒) 高橋敏夫 去る9月30日(土)、「山大の集い」に参加しました。初めて参加したのは、10年程前だったと思います。地方への転勤が多く、東京に来てから「東京ふすま会」の存在を知りました。そして人生の中でも楽しい思い出の多かった山形の地と絆を保ち続けていきたい、お世話になった山形大学に微力ながらでも支援が出来ればとの思いで、参加していたように思います。ここ数年は、御無沙汰してしまい、久しぶりの参加となりました。参加者は52名でしたが、顔を見て名前の分かる方は、3割弱程でした。が、社交性に乏しい私にしてみれば、まずまずの自己評価です。(後略) (3)人文13回(昭和58年卒) 高橋廣樹 東京ふすま会の皆様、はじめまして。と申しますのも、私、山大卒業後33年間、母校関連の行事に一切参加したことがない不良卒業生でありまして、9月30日の「山大の集い」には文字通り恐る恐る参加させて頂きました。昔、講義に遅刻し出欠確認直前にそーっと教室に入ったあの頃のように。しかし全てが杞憂でした。受付でいきなり笹谷副会長から「僕は会社の先輩だよ」とお声がけ頂き、更には広報部会長の堀切さんからは有り難くも本原稿の執筆依頼を早速頂戴しあっという間に様子見気分が消えていきました。(後略) 02第8回懇親芋煮会 秋晴れの下開催 11月9日(土) 若洲公園キャンプ場 文理17回(昭和44年卒) 稲村三夫 (前略)この後いよいよ一人一人になみなみと入ったどんぶりが手渡されて懇親芋煮会の始まりです。テーブルには林さん差し入れのデザートの甘柿も沢山盛り付けられてあります。今回の芋煮は、幸いにも大変柔らかく煮あがっており、味の達人方からもその味はまずまずとの評価を頂き、堀切さんともども胸をそっとなでおろすのでした。食事中参加者一人ひとりから、最初に山高の先輩である永井さん(27回文乙)の近況のお話に始まり、順次これまでの体験談、余暇の過ごし方など盛りだくさんの談話が寄せられました。この間食事も大いに進み、お代りを所望される方も多く、2個の山盛り大鍋もいよいよ底をつく状態になったところで寮歌「嗚呼乾坤の」、学生歌「みどり樹に」の高唱タイムとなり、雲一つない大空に向け大声での合唱となりました。心も晴れ晴れ実に爽やかなもの、参加者に与えられた特権です。(後略) |
芋煮会に参加して 文理10回(昭和37年卒) 鈴木泰一 (前略)芋煮会は 山形で発祥した食文化の一つであると思います。いつまでも次世代に残して行きたい行事の一つだと思います。山形で育った私には芋煮会は青春時代の遠い良き想い出の一ページです。小中学生時代の同級会でも芋煮会は度々あった様に思います。おなご衆が食材を切り味付けをし、おとこ衆が薪割り煮炊きをしたのは高校を卒業してからの同級会だったと思います。里芋、ごぼう、コンニャク、きのこ、ねぎは今と同じですが当時何の肉が入っていたかは覚えていません。又、学寮時代の芋煮会の想い出もつい昨日の様に覚えています。同室の先輩、後輩が一緒に馬見ヶ崎へ出掛け川原の石でかまどを造り、拾い集めた木々を薪に芋煮会をしたのは懐しい想い出です。山形では芋煮会は川原でするのが恒例でした。軽い財布を叩いて地酒の「東光」(今では全国名酒の仲間入りもしています)を調達し飲み交わした事も良く覚えています。以来私が日本酒党になったのは、この辺に原点がある様です。(後略) 03第31回見学会 女流講談師と行く御茶ノ水ミステリーツアー 人文1回(昭和46年卒) 笹谷仁則 昨年の見学会で『宝井琴柑を真打にする会東京ふすま会後援会』が発足してから1年経ち、今年は御茶ノ水にスポットを当ててみた。学生の街としては知られてはいるが、意外と知られていない部分も多い。そこを琴柑さんと訪ねてみようという趣向である。 見学会当日(10月21日)は、台風21号を迎える形となり豪風雨が心配されたが、思いのほか雨も弱く、参加者の皆様の日頃の行為と後援会への熱い思いの勝利でした。参加予定の31名中2名の第二部直行組と1名の欠席(会員の奥様)があり、琴柑さんを入れて29名の集合を確認して、聖橋口より御茶ノ水橋口へ向けて琴柑さんを先頭にスタートした。(後略) 見学場所 御茶の水の由来の碑 → 大久保彦左衛門の屋敷跡 → 太田姫神社 → 一口(いもあらい)神社 →ニコライ堂 → 湯島聖堂 → 神田明神 04乾坤あーかいぶす 合併市・町由来記 -山高師弟秘話- 17回文乙(昭和14年卒) 鈴木正次 第16回は鈴木正次氏の「合併市・町名由来記」です。(90号平成13年8月1日発行より転載)鈴木先輩からは会報「乾坤」に沢山の寄稿を頂きました。平成25年東京ふすま会総会へのご出席が最後で、「会員だより」への近況報告のみとなり、この度お亡くなられる寸前まで頭脳明晰でありました(前号会員だより)。感謝を申し上げつつ、ご冥福をお祈り致します。 (平成29年6月9日逝去 享年100歳) この文章は山高入学以来の畏友高山法彦君(17回文乙)の慫慂と資料の提供を受けて記述するものである。山形県大江町と南陽市という新合併市名・町名にまつわる山高師弟を巡る秘話とも申すべきもの、師弟とは平沢東貫先生と四回文甲の安孫子藤吉山形県知事である。 (後略) 05文理16回第4回同期会 文理16回(昭和43年卒) 嶋 和範 10月11日、12日、東京上野の水月ホテル鷗外荘に於いて「上野の文化と歴史」をキーワードに4回目の同期会を25名の参加を得て開催しました。 ホテルには名前のとおり森鷗外がデビュー作「舞姫」を執筆し、当時の蔵の雰囲気とサロンの面影を今に伝える旧邸があり、しかも天然温泉(都内第1号)の湧く都内では珍しいレトロ調のホテルであります。 (中略) 温泉で酔いと疲れを癒やし2日は、真夏のような暑さと快晴の中、行動開始。上野東照宮を参拝し、次に東京国立博物館を鑑賞、国宝・重文の仏像、刀、甲冑、硯箱等見事でした。その後国立西洋美術館に足を運びモネの水蓮、ピカソ、ルノアール等の作品を鑑賞、なかなか見応えがありました。昼食場所への道すがら清水観音堂、彰義隊墓所を見学、伊豆栄本店へ。五階から不忍池を眺めながら伊豆栄自慢のうな重を食し歓談の後、次回の同期会での再会を期してお開きとなりました。 |