会報「乾坤(134号 31.3.2016発行)」のとびら 広報部会の お勧め4篇 (文中 敬称略) |
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01新年賀詞交歓会 盛大に開催される 1月16日日本教育会館44名参加 (1)本文29回文乙 新田孝二 (前略)小笠原勇一氏(文理16回)はアフリカのナイロビ、台湾で活動し、台湾での本日の総統選挙は興味があるという。最後に岩槻正志氏(理学3回)は、さすがに若く、ボーイズ・ビー・アンビシャスという。続いて、今日初めての出席者4名佐藤輝和(文理13回)、高宮 白(文理15回)、竹岡国輝(文理15回)、小笠原勇一の各氏が紹介された。(後略) (2)会長年頭挨拶 文理7回高橋正光 (前略)。このため増員対策委員会では卒業年次毎の会合を行い、勧誘活動を絶えず行い成果を上げるべく活動しております。会員の皆様におかれましても同級生、同期生、ゼミ、部活、サークル等の仲間に声を掛けて頂いたり、情報を寄せて頂きたいと思います。また、この勧誘活動に有効な「山大の集い」は今年で20回目の開催となります。今まで以上に創意工夫を施し、魅力ある懇親の場となるよう努めて参ります。(後略) (3)記念講演「スポーツによる疲労の原因」 21回理乙 上田清基 オリンピックも近まり、アスリート達は猛練習に励んでいることでしょう。疲労による身体的障害に要注意です。この疲労は、筋肉内に生成した乳酸が原因であるという、ランケの主張が永らく世界が受け入れてきた。近年疑問点が指摘され、この説は消滅したままです。私は微生物のかびの液内培養の研究から、新説を主張することができた。私の主張は、スポーツで肉体に力が加えられた時、細胞の中から核酸、蛋白質等の成分が漏出し、それによる肉体の活力低下の感覚が疲労ということ である。(後略) (4)交歓会に参加して @文理16回小笠原勇一 (前略)なかなか歌う機会はないのですが「嗚呼乾坤の」を心を込めて歌いました。周りの皆さんも歌に没頭していました。時間が「学寮」当時に戻ったような感じでした。 今回参加させていただいて山形高校、山大文理、山大人文、理学と綿々と続く絆と今日の山大の健闘を改めて認識させていただきました。感謝いたします。 A人文9回 寺崎 誠 地下鉄神保町の駅を地上に出ると真っ青な冬晴れの空が広がっていた。風は冷たいが日射しは暖かい。郷里山形の冬空との違いを感じた。山形では雪の降った翌朝は晴れ上がった青空と白雪のコントラストが美しかったが、大抵は鉛色の暗い空に覆われていたな、とそんなことを考えながら会場へと向かった。(後略) 02山形大学OB・OGセミナー開催 3月5日山大東京サテライト 山形大学校友会と山形大学東京サテライトの共催で11回目を迎え、総勢83名、わが東京ふすま会からは33名参加し存在感を示した。 (1)本文 理18回 斉藤 彰 (前略) 学部合同の同窓会であり、鶴岡や米沢の仲間と想い出話で盛り上がり、各テーブルには「初孫」「浦霞」「菊水」等の銘酒の空瓶の山ができた。 歓談が続くなか、各同窓会から挨拶の時間となった。トップバッターは我らが高橋正光会長(文理7回)。本年もたくさんの参加がありうれしいと挨拶。終宴が近づき、司会より学生歌を唄おうとの案内があり、瞬く間に東京ふすま会の面々がステージに集まった。リードは相場義嗣事務局長(文理11回)で「みどり樹に」を高歌放吟した。(後略) |
(2)セミナーに参加して 文理17回 稲村三夫 (前略) 現役学生の司会により、初めに小山学長のご挨拶あり、講演1では、フランス文学が専門の阿部副学長による、学生時代の映画に関するお話があった。(中略) 続いて講演2では、同じく副学長の医学部深尾教授の「がん」に関する講演があり、中高年が多い出席者には健康に関するお話で、否応なく興味を持たざるを得ない演題でした。(後略) (3)記念講演 「1/2 or 1/3 がんについて考える」 理事・副学長 深尾 彰 教授 今や、日本人の2人に一人が罹患し、3人に一人が死亡すると言われている「がん」について、予防や治療に関する考え方について述べる。 戦後首位を独走していた脳血管疾患死亡率が1970年代をピークに減少を続け、代わりに悪性新生物(がん)が首位を占めている。脳血管疾患死亡率の減少は、たんぱく質や脂質など血管を構成する栄養素の不足によって引き起こされる脳出血が、栄養の改善によって減少したためと説明されている。(後略) 03寄稿2題 (1)私を支えてくれたものを大切に 29回文乙 安部富士男 山形は第二の故郷です。私たちは、昭和23年4月山形高等学校最後の入学生となりました。在学した期間は1年でしたが、私の人生を支え続けてくれた掛け替えのない経験をしました。(後略) 目次 1、母と二人の弟・三人の死 2、納豆中毒事件は人災 3、アルバイトとして行商を始める 山形の方々の優しさに支えられながら (3回連載の予定です) (2)「精神現象学」と私 28回文乙 村川武彦 (前略) 手元の本によるとヘーゲルはしかめ面をした、おかたい哲学者ではなかったらしい。毎晩のようにビールやワインを飲みながら、上手くもない冗談をとばすただの社交的な酒のみだったようだ。ただ飲み仲間がすごかった。世界的に有名な劇作家シラーやドイツ文学の巨匠ゲーテなどの有名人が相手だったという。(後略) 04第11回乾坤あーかいぶす 23回理甲 加賀谷誠一 「虫まで食ったわが青春」 第62号より転載 戦中に山高生として過ごした学寮での生活振り、山形での思い出、学徒出陣のことまで触れた内容は当時の世相を伝えている。 (前略)ある秋の日、郷里の秋田からリンゴ箱に一杯詰まった長十郎梨が届いた。消灯後、阿部君を始め近い人たちを集めて、廊下から漏れる光のもとで食べたが、皮をむく上品な人は一人もおらず、瞬く間に無くなってしまった。翌朝みると虫の食った跡のある芯が、多数部屋の隅に積み上げられていた。交通事情が悪く、輸送に日数がかかったために虫が成長し、虫もろとも我々の腹の中に納ったもので気がついた時は後のまつりであった。(後略) |