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会報「乾坤(132号 27.8.1発行)とびら

広報部会の お勧め4篇 (文中 敬称略)

01平成27年度東京ふすま会総会
    盛大に開催される
第1部 理事会 総会
第2部 記念講演
第2部 懇親会
厳粛にかつアカデミックにそして明るく和やかに推移した。
東京ふすま会理事会・総会が5月23日(土)、神田錦町の学士会館で開催された。総会の出席者は、会員48名(山高10名、山大38名)、来賓、関係者5名、総数53名であった。山大の出席者は昨年より 6名増えたが山高が6名減と年々減っていくのは誠に残念である。(後略)
                28回(昭和25年卒森参治 記


 (1)東京ふすま会総会、高橋会長挨拶
   会員動向、事業決算報告、事業予算説明、今    年度の課題について報告した。

本年は、ふすま同窓会95年記念祭が執り行われます。詳細につきましては本部から逐次機会ある毎に、そして今夏の「ふすま同窓会報」でご案内頂くことになっています。私共共通の思い出の地山形を、小白川の学舎を訪ね、青春時代を共に過ごした旧友はじめ、多くの同窓生と交流を図り懇親を深める良き機会ですので、大挙して参加したいと思っております。(後略)
                 文理7回(昭和34年卒)高橋正光

 (2)総会に参加して(2編)
   @文理15回(昭和42年卒)竹岡国輝

(前略)今回の初出席は、私の今後の東京ふすま会への継続的な参加を促すものとなったような気がする。4年間の長くは無いが山形での生活によって、ある意味山形は私にとっては室蘭に次ぐ第二の故郷である。聞けば今年の秋は山高創立から
95周年だとか、その記念行事が盛大に行われる予定である旨、95周年記念祭実行委員長である戸石氏(人文1回)からの詳細な説明があった。卒業以来全く会っていない面々の顔が浮かぶ。百周年では行けるかどうか生きているどうかとも思ってしまうので今年あたりが最初にして最後のチャンスかも知れないから、出席してみようかとの思いが強くなってしまった(後略)

  A理1回(昭和46年卒)菊地信幸
(前略)そんな中に、ある方のブログを発見しました。「山形県が生んだ偉人として私は次の4人を挙げる。外交官としてスートし、国際社会で活躍した安達峰一郎、民法学者の我妻 栄、歌人の斎藤茂吉、アマチュアレスリングの笹原正三の4氏である。笹原氏以外の3人は故人である。この様に国際社会で名を成した人でありながら安達峰一郎の名を知る人は山形県人でも少ない。県庁前通り等に彼の名を冠しても良さそうなものだが」―遅ればせながら私も同感と思いました。(後略)

 (3)総会記念講演「山形県が生んだ”世界の偉人   安達峰一郎博士”」

第二次世界大戦前、世界で最も知られていた外交官で国際司法裁判所裁判長として世界の平和のため命を捧げ、オランダは国葬の礼をもってその功績を称えた。吉田さんはその安達峰一郎先生の生い立ち、修学、外交官時代、裁判官時代、記念財団について講演した。
              文理2回(しょうわ29年卒)吉田正文
(前略)「外交官時代」明治25年外務省に入省。翌26年イタリア、4年後の明治30年フランス、大正2年メキシコ、同6年ベルギー、昭和3年フランスと、優れたフランス語と国際法の専門家として、殆どが海外大使館勤務であった。
 特筆すべきは、@明治38年日露講和会議(ポーツマス会議)で小村寿太郎全権(外務大臣)の随員として、講和条約の作成
にあたった。A明治41年日仏通商航海条約の締結にあたり、片務的なものを、巧みなフランス語を駆使して妥協案を纏め、桂太郎総理大臣を驚嘆させた。B大正10年国際連盟第2回総会から、昭和4年第10回総会まで日本代表として出席。同年の理事会では議長を務めるなど見事な活躍をした。(後略)
02乾坤あーかいぶす
今回は坪井良一氏の「山寺のバンチャン」です。

(第34号より転載)久し振りに訪れた山寺で土産物屋のバンチャンから土産買うに至った心境を述べています。
              24回文乙(昭和20年卒)坪井良一
(前略)こんなことがあってから先輩の戸川幸夫さんにお会いしたので、この話をした。すると戸川さんは「それが教育なんだよ、われわれは山形で本を読み、だべったりして勉強したと思っているが、本当のことは山形の自然や、山形の人達が教えてくれたのだ。バンチャンがわれわれを育ててくれたんだよ。教育というものを山形の町中でやってくれたのだ」(後略)


03
ふすま95年記念第18回ふすま寮歌祭
             29回文乙(昭和24年修)新田孝二
(前略)7月16日、第18回ふすま寮歌祭が日本教育会館喜山倶楽部で開催された。今年も、山形のふすま会本部から豪勢な紅花が送られてきて、なつかしさを感じさせてくれる。
(後略)
参加者
飯島俊夫 上田清基 金丸 明 永井和雄 江川蓉子
真野孝雄 森 参治 大類信行 新田孝二 吉野重彦
浅田暢彦 鈴木隆司 吉田正文 吉田良吉 渡會成良
高橋正光 坂本 薫 小山昌志 高山今朝雄 相馬義嗣
林 信行 八木正毅 三俣壯一 笹谷仁則 堀切一夫
五十嵐吉郎 伊藤英孝 渡辺喜子(以上28名)

04寄稿 3題
   

(1)わが感動の曲
             28回理(昭和25年卒)石垣忠昭
昭和23年ドイツ語教科書を買いに行ったときに日比谷公会堂で聞いた「第九」のコンサートに感動した話です。

(前略)しかも何よりも第4楽章のあの圧倒的な合唱の迫力に全身が震えるような思いで聴き入ったことを、今から67年前のこととはいえ、昨日のことのように感動の曲としてはっきりと記憶している。これまでの生涯において、これ程感動したというか記憶に残っている曲があっただろうか。(後略)

(2)卒後53年の想い
               文理10回(昭和37年卒)高橋俊彦
世界一の長寿国の中で健康で楽しく長生きをするために」必要な2点について述べていただいた。

(前略) 一つ目は、高齢者は社会の厄介者・要庇護者ではなく、それ相当の社会的な役割を持ち続け社会貢献も出来、隠居の気持ちで若者達の後ろで巨視的支援を積極的にしないといけないとの思いがあることです。
(中略) 二つ目は、現在は過去の人類が経験したことのない、ICT化の進展で世界が激変しているのに、高齢者達がそれを無視・又は無関心で過ごし、子供達に馬鹿にされ頼りにならないと尊敬の念を失わしているが、これを改善したいと言うことです。(後略)

(3)私の山形そして秋田
              文理17回(昭和44年卒)井上忠純
秋田の明治維新とその後についてあまり知られてないことや寮生活の思い出等を語っている。

(前略)戊辰戦争も秋田に住んでいる故に見えてくるものがある。秋田県の鹿角郡は敵として戦った南部藩の領地であった。花輪高校在職中は岩手県への編入変えを望む人も
存在した。また現在も県民歌の歌詞の一部を問題とし歌わない場面も多い。秋田はまだ明治維新を引きずっているのである。